2015年04月27日

日本ハム、37年の名護キャンプに幕 1818号

日本ハム、37年の名護キャンプに幕 1818号



 日本ハムが1軍キャンプ地の沖縄県名護市から撤退することが昨日判明した。

 来年2月から米国のアリゾナを最有力候補に最終調整中だという。

 プロ野球チームの中では、1978年から他の球団に先駆けて沖縄でキャンプを張った「パイオニア」の球団だ。

 その37年間の歴史に幕を閉じることとなった。

 撤退の理由は、球団側が1990年代後半から要望していた老朽化が著しい名護市営球場の改修を名護市が改善する様子もなく具体的な対応が進まなかったのが大きいようだ。

 2008年1月に同球場で自主トレ中の若手投手が外野でランニング中、腐食したフェンスの部品を踏み左足首捻挫のアクシデントも発生し、年々、危険性は増加していた。

 球団側は選手への万が一の事態を防ぐためにも、何度も名護市に掛け合ったがずっと平行線のままだったらしく今年が限界だった。

 球団と日本ハム選手会の双方で、練習環境が年々、悪化しており、選手の調整面などを勘案して苦渋の決断に至った。

 一応、全面改修は早くて5年後の20年という構想(あくまでプラン)を名護市側から最近示されたというが、時すでに遅し。

 名護市は予算の関係があったのかもしれないが、球団の改善要望を何年も放って置くとは行政の怠慢といわれてもしょうがない。

 稲嶺市長はどう考えているのだろうか。

 撤退発表の前に、政治的な対応策がいくつもあったと思うが・・・・・。

 積極的なアクションを起こしたというニュースは入っていない。

 名護市を全国に知らしめ、地域活性化に大きな役割を果たしたプロ野球団・日本ハムのキャンプを見す見す手放すことになるとは残念だ。

 かつて江夏や新庄、ダルビッシュなどスター選手を追いかけてファンが大勢押し寄せた時は道路が大渋滞になったリ、”ハンカチ王子”斉藤祐樹投手の最初のキャンプ時には多くの追っかけグループもいて名護市の街は大いに盛り上がったのが印象に残っている。

 今年のキャンプではエースの大谷翔平選手を一目見ようとオープン戦の始まる市営球場に長い行列ができるほどだった。

 苦労して沖縄春季キャンプを実現させた親分こと、大沢啓二監督は今頃、天国でどういう気持ちでいるのだろう。




 琉歌 千五百十八

 「名護浦の海の(なぐうらぬうみぬ) 波の色美らさ(なみぬいるじゅらしゃ) 沖の帆柱も(うちぬふばしらん) 馬の如し(うまぬぐとぅし)」

 「名護浦の海の 波の色美らさ 沖の帆柱も 馬の如し」


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Posted by 山川のりじ at 20:14 │典二の日記 (1,721)▼

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