2011年12月18日

名優・真喜志康忠(まきしこうちゅう)さん逝去 604号




 沖縄芝居の名優・真喜志康忠(まきしこうちゅう)さんが昨日老衰のため亡くなった。

 88歳だった。

 戦前・戦後を通して沖縄芝居(ウチナー芝居)の名優でトップスターとして一時代を築いた。

 劇作家としても多くの名作(71作品)を残した。

 数え9歳の頃、役者見習いとして真境名由康(まじきなゆうこう)氏率いる「珊瑚座」に入団。

 10代だった戦前は劇団で活躍し、第2次世界大戦で兵役にとられシベリア抑留を経験、戦後「ときわ座」を旗揚げして芝居に打ち込む。

 「大伸座」の大宜味小太郎(おおぎみこたろう)さんと同時代に人気を競い、沖縄芝居を盛り上げた。

  新聞取材のコメントで沖縄芸能史研究会當間一郎会長は「沖縄の芸能のトップを失った。戦前の先生方の後を継いで、組踊、舞踊、歌劇、沖縄芝居すべてにおいていい演技を広げた。偉大な人でも病には勝てなかったか」と述べた。

 また真喜志さんの作品の演出を手がけた幸喜良秀さんは「沖縄、東京、福州でも観客は康忠さんの舞台に酔った。それは生まれつきではなく努力の結果。人の5倍、6倍稽古する人だった」と語った。

 沖縄初の芥川作家、大城立裕氏が書いた「世替わりや世替わりや」は真喜志康忠・大宜味小太郎の二大俳優が共演し、両雄ともに見事な演技を見せて感動を誘った。

 私も観客の一人として観ていたが、素晴らしい舞台だった。

 小学生の頃、沖縄芝居や映画が好きだったので歩いて10分ぐらいのところにある那覇劇場や映画館に良く通った。(顔見知りでほとんどフリーパスだった)

 特に那覇劇場では、時々楽屋に出入りしたりしていても「役者か誰か関係者の子供だろう」と思われ怒られることもなくむしろ可愛がられチャンバラや女形の格好を真似たりして遊んでいた。

 おかげでいっぱい芝居を観たが、骨太の渋い声の大きな演技をする康忠さんの舞台は子供心に印象に残っている。

 組踊「二童敵射(にどぅてぃちうち)」の阿麻和利(あまわり)の豪快な演技は他に類を見ないのではないだろうか。

 ほのぼのとした演技を見せる大宜味小太郎さんとはまさに対極にあった。

 大城立裕さんは真喜志さんのことを「明治以来、ウチナー芝居の名優は何人かいるが、彼を抜く役者は出ていない。希代の名優、”ウチナー芝居の鬼”」と表現した。

 いつもウチナー芝居のことばかり考え、語り、行動していた人だった。

 戦後混乱期の多くの沖縄の人々に舞台を通して感動と勇気を与えた真喜志康忠さんの冥福を祈りたい。

 ところで今日のラジオ沖縄(ROK)午後6時放送の「山川典二のJAZZLIFE」のゲストは音楽活動家のデーブ山岸さんだ。

 ラジオのダイヤルは864キロヘルツ。よろしく。



 琉歌 三百五十二

 「沖縄御万人の(うちなうまんちゅぬ) 心慰めて(くくるなぐさみてぃ) 星の長旅路に(ふしぬながみちに) 上って語ろう(ぬぶいかたら)」

 「沖縄御万人の 心慰めて 星の長旅路に 上って語ろう」

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