国場幸之助衆院選1区予定候補の事務所開き 1667号
衆院選沖縄1区で自民党公認で出馬予定の国場幸之助氏の事務所開きが、この後午後6時30分から行われる。
場所は、那覇市牧志・ジュンク堂前の糸嶺会館1Fの事務所で、この間の知事選挙で仲井真知事の選対本部だったところだ。
国場氏の思いの一端を「こうのすけの初志貫徹ブログ」から抜粋して紹介する。
2014年11月24日
普天間基地問題へのスタンス
本日は、ちょうど一年前の普天間会見の内実を記しました。
以下、自著、「われ、沖縄の架け橋たらん」からの抜粋です。
2013年11月25日、私は朝早く議員会館から永田町の自民党本部にある幹事長室へ向かっていました。私を含む沖縄選出の自民党国会議員5名は石破幹事長から、その日までに、普天間基地の名護市辺野古への移設を容認するかどうか、態度を明確にするように求められていました。
私たち5人は、その一週間ほど前にも石破幹事長に呼ばれ、同じように辺野古移設について意見を求められていました。党本部としてはその時点で、党の方針である辺野古移設を受け入れてほしかったようでした。しかし、私たちは2012年の総選挙で、普天間基地の県外移設を公約に掲げて当選しました。選挙の際には石破幹事長をはじめ、党の幹部の方々にも応援演説をしてもらいました。
県外移設は公約であり、有権者との約束です。たとえ困難であろうとも、全力で取り組む義務があります。もし公約を撤回するのであれば、少なくとも票を託してくれた有権者の方々が納得してくれるような大義名分が必要です。しかし、どのような説明をしようとも、沖縄県民が辺野古移設を受け入れてくれるとは思えませんでした。
ここ数年で、沖縄の民意は大きく変化しました。沖縄では政府に対する不信感が強くなっており、かつて自民党政権が辺野古移設を進めていた頃とは状況が異なっています。以前、辺野古移設を容認していた人たちも、今やその多くが移設反対を主張するようになっています。
その原因は、民主党政権の沖縄政策があまりにも杜撰だったことです。しかし、責任を民主党だけに押し付けることはできません。
私自身、沖縄選出の国会議員として、何でもお金で解決を迫る政府のやり方には疑問を感じることが多くなっていました。かつての橋本龍太郎総理大臣や梶山静六官房長官のように、沖縄の心に届くような言葉を発する政治家がほとんどいなくなってしまったように感じていました。
「県外移設を変更する大義名分がなければ有権者に説明することができません。辺野古移設について反対する声が大きい中、それが本当に現実的なプランであるかどうか。私は懐疑的です。」私がこのように述べると、石破幹事長から「あと一週間しっかりと有権者の声を聞き、再びここに集まってほしい」という話がありました。党としても強い危機感を抱いているということがひしひしと伝わってきました。
私はすぐに沖縄に戻り、仲井眞弘多沖縄県知事、翁長雄志那覇市長、那覇市議会議員団、公明党沖縄県本部の糸洲朝則代表、そして私の後援会の方々など、多くの人たちと意見交換しました。彼らは皆、選挙の時にお世話になった方々です。彼らと一緒に県外移設という公約を作ってきた以上、彼らの意見を無視して公約を取り下げることはできません。
私は、24日の東京行きの飛行機の最終便が飛び立つギリギリの時間まで、皆さんと協議を重ねました。私はそれを踏まえ、自分の頭を整理するため、25日の明け方4時頃までメモを作りました。それから沖縄の後援会長に電話をかけ、一任をもらいました。
11月25日は朝から曇っており、外気が肌寒く感じられました。幹事長室のドアを開けると、石破幹事長の他に浜田靖一幹事長代理の姿も見えました。沖縄選出の国会議員5名が集まると、態度を保留していた議員たちは順々に立場を明らかにするように求められました。
最後に私の順番が回ってきました。「それでは國場さん」。石破幹事長に促され、私は明け方までかけて作ったメモを読み上げました。
「選挙公約は断固として堅持します。県外移設を掲げて当選した以上、その方針を取り下げることはできません。私は人の命を預かる安全保障政策で一番大切なのは、国民、県民、有権者との信頼関係であると信じています。その根底が崩されれば、どれほど優れた政策であろうとも有権者の心に届きません。
その一方で、一日でも早く普天間基地の危険性を除去するための、あらゆる方法論や選択肢、可能性を排除するべきではないと考えています。普天間基地の固定化は最悪の選択です。これだけは絶対に避けねばなりません。
公約を堅持するという私の立場について、党から何らかの措置があるのであれば、組織人として甘んじて受け入れる覚悟です」
県民の不信感を払拭するためには、県外移設は絶対に堅持しなければなりません。そうでなければ、沖縄と本土との間の心理的距離はますます開いてしまいます。それと同時に、普天間基地の危険性は一日でも早く取り除かねばなりません。そもそも辺野古への移設が唱えられるようになった大きな理由は、普天間基地の危険性にあります。いくら県外移設が進まないからといって、普天間基地を固定化してしまうのであれば本末転倒です。それは、地域住民にとっても日本政府にとっても、そして日米関係にとっても最悪の選択です。
たとえ自民党を離党することになろうとも、県外移設を貫く。同時に、普天間基地の危険性を取り除くためのあらゆる可能性を追求する。これが私の出した結論でした。
もちろん私だけではなく、あの場にいた人たちは皆、熟慮に熟慮を重ねた上で結論を出したのだと思います。石破幹事長も大変苦しんでおられたと思います。幹事長は安全保障問題のプロ中のプロです。辺野古移設が軍事的合法性という観点のみに基づいたものでないことは、幹事長自身が一番理解されていたと思います。また、報道によると、党内には「幹事長は生ぬるい」という声もあったようで、厳しい立場に置かれていたことと察します。
石破幹事長は私の話を受けて、「國場さんの言う『普天間基地の危険性の除去をもたらすあらゆる選択肢』の中には辺野古移設も含まれますね」とおっしゃいました。与党の責任者としてギリギリの判断だったと思います。
もちろんこれを拒否することもできました。しかし、私がここで拒否し、党を飛び出せば、普天間基地問題は「固定化か、辺野古移設か」という二項対立に陥ってしまう恐れがありました、与党の中で誰かが県外移設を唱えていなければ、県外移設が永久に不可能になってしまうのではないかという危機感もありました。
「それでも県外移設は堅持したい」
沖縄の尊厳と日本の国益が凝縮された極限状態の中で、私はそのように繰り返すのが精いっぱいでした。私の後援会の中には「会談を蹴り飛ばして退出すべきだった」、「次の選挙のためにも離党すべきだ」という声もありました。また、沖縄の地元メディアは皆、「公約を守れない政治家は議員辞職せよ」と批判していました。政治家である以上、批判は真摯に受け止めます。期待を裏切られたと思われたのであれば、私の不徳の致すところです。
しかし、この問題はまだ始まったばかりです。現在、自民党や公明党、民主党など、ほとんどの政党が辺野古移設を容認しています。そうした中で。与党に身を置きながら問題提起をしていくことが、私に与えられた役割だと考えています。私は県外移設を諦めるつもりは毛頭ありません。
普天間基地問題には、戦後日本の問題点が集約されています。日米関係や日中関係、
憲法改正や集団的自衛権などの安全保障問題、さらには人権問題など、沖縄に身を置くからこそ見えてくる問題はたくさんあります。私がその中でも特に強調したいのは、「沖縄は本当に日本なのか」という根本的な問題です。
沖縄では最近、「沖縄は本土から差別されている」という主張が行われることが多くなっています。私としては、「差別」という言葉はできるだけ使うべきではないと考えています。その言葉を使った瞬間に会話がストップしてしまい、建設的な議論ができなくなってしまうからです。
しかし、沖縄の人たちが「自分たちは差別されているのではないか」と思うようになったのも無理はありません。日本国土の0.9%を占めるにすぎない沖縄県に、在日米軍施設の74%が集中しています。なぜ沖縄だけこれほど米軍基地を抱え込まなければならないのか。日本の安全保障のために米軍基地が必要であれば、日本全体で平等に負担すべきではないか、もしかしたら沖縄は同じ日本人として扱われていないのではないか。沖縄県民が疎外感や寂しさを感じていることを、本土の人たちにはもっとよくわかってもらいたい。
また、本土では、「沖縄はお金がほしくて基地反対運動をしている」という意見をよく耳にします。私も一部のメディアから、「國場が県外移設を主張しているのは、カジノ利権を得るための駆け引きだ。会見では移設を渋々受け入れたことをアピールするためか神妙な顔で座っていたが、腹の中では笑っていただろう」書かれました。残念ながら自民党の先輩議員の中にも、「辺野古移設であれだけ粘ったのはお金のためか」と聞いてくる人がいました。しかし、こうした主張は全くの的外れです。沖縄が基地に反対しているのは、そんな理由からではありません。そうした誹謗中傷を耳にすればするほど、沖縄の人たちはより一層疎外感を感じるのです。
私は沖縄の問題を解決できるのは「保守」だけだと考えています。本土の保守層の中には沖縄に対して厳しい批判を行っている人が多いため、「沖縄」と「保守」は両立し得ないと考えている人もいるかもしれません。しかし、本来であれば、保守こそ沖縄だけに米軍基地が集中している現状を不自然だと感じ、保守こそ同胞である沖縄の抱える寂しさを汲みとらなければならないはずです。
もちろん、問題は本土側だけにあるのではりません。沖縄は本土を批判するだけではなく、問題を解決するために何をしてきたのか。私は沖縄選出の国会議員として、一体何をしてきたか。保守政治家を自任する者として、私にできることは何か。
沖縄の尊厳と日本の国益の狭間で悩み苦しみ、挫折と失敗ばかりの私自身の半生をさらすことにより、沖縄と本土の相互理解に資することにはならないか。そんな使命感めいたものを感じながら、本書を書きました。本書が沖縄と本土の距離を少しでも縮めることにつながるのであれば、それに変わる喜びはありません。
以上。
12月14日の投票日まで、2期目の当選を果たせるよう支えて行きたい。
琉歌 千四百二十七
「トックリキワタ(とっくりぬきわた) 真色美らさ(まくとぅいるじゅらしゃ) 桃の花びらが(むむぬはなびらが) 風に揺れて(かじにゆりてぃ)」
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