2015年04月12日
今日のJAZZLIFE、ヘレンメリル特集 1803号

(ヘレン・メリル)
毎週日曜日午後6時からラジオ沖縄(ROK)で放送中の「山川典二のJAZZLIFE」。
今日はアメリカ合衆国の女性ジャズ歌手でその歌声は、しばしば「ニューヨークのため息」と評される”ヘレン・メリル”(Helen Merrill、1930年7月21日 - )を特集してお送りする。
ヘレンメリルについて、”ウキペデイア”から一部引用して紹介する。
ヘレンメリルはニューヨーク生まれで両親はクロアチア人移民。
14歳でブロンクス区のジャズクラブで歌うようになり、1946年から1947年にかけて、レジー・チャイルズ・オーケストラのビッグバンドの一員として活動。
1948年、クラリネット奏者のアーロン・サクスと結婚するが、1956年に離婚。2人の長男アラン・メリルは、後に元ザ・テンプターズの大口広司と共にウォッカ・コリンズで活動したギタリスト。
1954年12月22日から24日にかけて、初のリーダー・アルバム『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』を録音。
1956年に早世するトランペット奏者のクリフォード・ブラウンが全面参加し、クインシー・ジョーンズが編曲を担当。
同作収録の「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」(作詞・作曲はコール・ポーター)は、メリルの代表的なレパートリーとなった。
1956年、『ドリーム・オブ・ユー』ではギル・エヴァンスと初共演。
1950年代末期になるとヨーロッパでの活動が増し、イタリア録音のアルバム『ローマのナイト・クラブで』ではニニ・ロッソと共演。
1960年11月、初の日本公演を行う。1963年にも日本を訪れ、山本邦山等と共演。
1966年頃、UPI通信社のアジア総局長ドナルド・ブライドンと結婚し、それを機に日本に移住した。
以後、渡辺貞夫との共演盤『ボサ・ノヴァ・イン・トーキョー』、猪俣猛とウエストライナーズとの共演盤『オータム・ラヴ』、佐藤允彦と共に制作したビートルズのカヴァー集『ヘレン・メリル・シングス・ビートルズ』、当時やはり日本在住だったゲイリー・ピーコックとの共演盤『スポージン』等を発表。
その後ブライドンと離婚し、1972年にはアメリカに帰国して音楽活動を停止するが、1976年にはジョン・ルイスとの共演盤『ジャンゴ』を発表し、活動再開。
親日家であり、活動再開後は数多く来日、ライブ・コンサート活動をしている。
1993年、日本映画『僕らはみんな生きている』(滝田洋二郎監督)の主題歌として、「手のひらを太陽に」を英訳してカヴァーする。
クリフォード・ブラウンとの共演から40年後に当たる1994年には、『ブラウニー〜クリフォード・ブラウンに捧げる』発表。
『あなたと夜と音楽と』(1997年)では菊地雅章と共演。
プラハ録音の『ライラック・ワイン』(2003年)では、エルヴィス・プレスリーの「ラヴ・ミー・テンダー」やレディオヘッドの「ユー」をカヴァーした。
今日の「山川典二のJAZZLIFE」ではヘレンメリルのデビューアルバムで代表作の『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』をお聴き頂く。
お掛けする曲は、「ドントエクスプレイン・」、「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」、「スワンダフル」、「恋に恋して」、「ホワッツ・ニュー」、「イエスタデイズ」。
「ニューヨークのため息」をたっぷりとお楽しみ頂きたい。
琉歌 千五百三
「ニューヨークジャズの(にゅうようくじゃずぬ) ため息と謳われる(ためいちとぅうたわりる) 花の歌手(はなぬうたわじゃしゃ) ヘレンメリル(へれんめりる)」
「ニューヨークジャズの ため息と謳われる 花の歌手 ヘレンメリル」
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Posted by 山川のりじ at 10:36
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