2014年09月27日

北城ろう学校野球部のこと 1606号

北城ろう学校野球部のこと 1606号
(北城ろう学校・野球部)


 聴覚に障害のある人のスポーツ大会「第48回全国ろうあ者体育大会」が沖縄県で初めて開催される。

 開会式が昨日(26日)、那覇市奥武山の県立アリーナで開かれ、沖縄代表でバレーボール女子に出場する高良美樹さん(23)、野球に出場する高良昌莉さん(21)の兄弟による選手宣誓が行われた。

 選手宣誓は手話だ。

 「磨いてきた力と技を発揮し、相手を尊敬し、互いの友情を深め、全力で戦い抜くことを誓う」と宣誓した。

 大会テーマは「力強く 笑顔で 絆を深め」。

 全国から1132人が出場し、今日と明日、県内各地で10競技を競う。

 10競技は、野球、卓球、バレーボール、陸上、サッカー、テニス、ボウリング、ソフトボール、バドミントン、バスケットボール。

 役員、ボランティを含めると2500人以上の大会となる。

 日程・場所など詳細は、全国ろうあ者体育大会の公式ホープページで参照を!

 ところで、1964年(昭和39年)に米国で風疹が大流行し、軍用地を持つ沖縄にも広まり、妊婦の中に感染する者が多かった。

 そのため翌年の1965年(昭和40年)に風疹障害児が多く生まれた。

 沖縄の行政当局は対応策として、1969年には沖縄県内各地に風疹難聴学級を設置し幼稚部学級が開設された。

 その後、小学校においては通常の生徒と同様に学校へ入学し、新設された風疹難聴学級で教育を受けた。

 しかし、聴能訓練に大半が費やされたため、通常の学校教育で要求される学力を身につけることができなかった。

 そこで、沖縄県は当時の風疹障害児のためだけの独立した学校を新設することを計画。

 1978年に本校である沖縄県立北城ろう学校、分校である宮古分校、八重山分校を設立。

 単一学科、単一学年生で本校には全140人の生徒が入学、19学級が開設された。

 1981年には普通科と職業科によって構成される高等部が新設された。

 1984年3月に全生徒が卒業し当校は役目を終え、本校、分校ともに6年間の短い歴史に幕を閉じた。

 本校に関しては高等部新設とともに野球部が結成され、1983年には夏の高校野球の沖縄県大会に正式出場。

 後に、当校をモデルとした映画「遥かなる甲子園」が制作された。

 当時、私はNHKアナウンサーの駆け出しで、沖縄放送局に勤務していたが、高校野球の実況放送も担当していた。

 そして、北城ろう学校野球部の記念すべき初めての公式試合の中継を担当した。

 テレビ番組でも紹介した。

 試合前に何度も北城ろう学校に通い、取材を重ねた。

 聴覚のほとんどない高校生達が、一体どういう練習をしているのか、グローブを外さずにどう連携プレーをするのか、非常に興味深かった。

 一般常識を超えるレベルで子供たち(高校生達)は、チームワークの良い調和のとれた練習をしていた。

 何よりも選手たちの野球が好きで好きでたまらない気持が、練習する校庭に溢れていた。

 手話で通じなくとも、野球をする気持ち一つでお互いの心にすべてが通じていたのだ。

 素晴らしい高校球児達だった。

 野球をする嬉しさで笑顔をいっぱいの表情が忘れられない。

 高校生の時の顔しか覚えていないが、彼らは50代になっているはずだ。

 今頃、どこでどうしているのだろう。

 


 

 琉歌 千三百六十六

 「この世生れたる(くぬゆうまりたる) 玉黄金産子(たまくがになしぐぁ) 何時までも神の(いちまでぃんかみぬ) 守りたぼれ(まもいたぼり)」

 「この世生れたる 玉黄金産子 何時までも神の 守りたぼれ」

 なしぐぁ=産子=自分の可愛い子供のこと

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Posted by 山川のりじ at 10:50 │典二の日記 (1,721)▼

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